交通事故の事
先月のエル・ゴラッソで、痛ましい記事を見掛けました。
引用します。『酒気帯び運転で交通事故を起こし、10歳と8歳の二人の児童を死亡させたとして、』(中略)運転者に『懲役7年4カ月の実刑判決が下された。』
事故が発生したのは2007年の6月なのだそうです。…知らなかったな。
自動車ってのは、便利な反面、かなりの数の人間(や動物)を殺めてきた道具です。核兵器よりも多くの人命を奪ってきたっていうのも一面では事実。
確かに自動車は現在の文明に欠かせない利器かも知れない。もしも無くなるとなると、僕としても望ましくない方へ生活様式を改めざるを得なくなるだろうと思う。たぶん不便。それは分かる。
だけど、交通事故で亡くなった人たち全てについて、もしも亡くならなければ明日全人類が自動車無しで今より便利に、今より幸福になる方法を見出していた――って事は絶対に無いなんて、誰が断言出来るだろう?
そうでなくても、仮に万人の利益の為と言ったって、その為に失われて良い人命なんてあるはずが無い。と、思う…。けど、その事について何も働きかけられない無力感と格闘。それは葛藤。
なんて考えていて、プリマス篇を先に進めるモチベーションがかなり下がっていました。いや、まだ戻り切っていませんが…。
初めに引用した文の中略部分は、イングランド・チャンピオンシップ(2部)プリマスの元選手。「元」なのは、単に判決が出る前にクラブを退団してただけ。クラブ所属選手の起こした死亡事故(しかも酒気帯び)でした。
僕も当事者? 向こう側から見れば当然全然無関係だろうけど、こっちからは心理的に無関係でも無関心でも居られないんだよな。
いやいや。そりゃ、社会人としての教育が不行き届きってのは責められるかも知れないけど(6月がオフシーズンだとしても)――クラブ自体に責任がある訳じゃない。ましてゲームの中でそのクラブの監督役をやって遊んでいるだけの東洋人…無関係だな、はっきり言って。
なんて言って割り切れたらどんなに楽だろう!
ちなみにゲーム内ではこの選手、この記事を読んだ段階では既に冬の移籍市場で放出していましたが…。それはあんまり、というか全然…僕のショックを和らげる事は無かった。
痛ましすぎる…。
亡くなった二人の子のご冥福を、心からお祈りします。
元選手の彼も、自棄にならずにしっかり反省して、どんな形でも社会復帰して欲しいと思う…無責任だけど。でも、そうでないと彼一人分、被害者が増えるでしょ。
[Sun, 16. Nov. 2008]
我が青春のCM&FM遍歴(後篇)~FM2005篇
パッケージのデザインはCM4の方が好きだったな。
CM4の時に日本語訳に辟易していたので、FM05は英語版を入手しました。ついでに古本屋で英和中辞典も。
FM2005は、Jリーグが無くなっていたので、イングランド6部から始めることにしてみました。そこが最下層だと、当時は思っていたのです。確かにそこはゲーム内の最深部ですが、規模の大小で言えば、例えばポルトガル3部の下位クラブの方がさらに小さかったりしますが。
そこで選択したのが、ザ・タイガースことワークソップ・タウンFC。理由は、数チーム見回してみて、唯一左右のウインガーが揃って在籍していた事でした。
この時はCM4と同じ並びの4-3-3で挑むつもりだったのです。
が、すぐにそれではうまく行かない事に気付きました。そりゃそうだ。これじゃ中盤が作れないし、相手の最終ラインがロングボールに普通の対応さえ出来るなら、3トップがボールを持てる機会は限られる。中盤が作れないからロングボールが相手に渡った後は低い位置でしか奪回できない。
そこで、3センターを1列押し上げてみました。
それがこれ。(右図)
これで何とか試合が出来る状態になりました。
んで、かなりの時間が掛かったけど、これでどうにかリーグ1まで漕ぎ着けました。何シーズン掛かったか、思い出せないなー。
スタジアムは確か3,000人程しか入らなかったかな。あまりに脆弱な財政基盤を強化するために改築をしたかったのですが、理事会が許可を出しても自治体(?)の許可が下りず却下され続け、実現せず。この辺りで小クラブの限界を強く感じていました。
そんな折、サンダーランドからのオファーが届きました。これは迷いながらも蹴ったんです。蹴ってみて、失敗だったかな?――と思っていたところへ、今度はチャンピオンシップにいたノッティンガム・フォレストからのオファー。でも迷う。愛着と野心の間をさ迷った末、これに応じ、とうとう移籍しました。サンダーランドのオファーがなかったら、移籍しなかったかも知れない。
で、移籍した後。そのシーズンは残り10試合ほどだったんですが、ここを勝ちまくって逆転で2位に滑り込み昇格。この時点で基本布陣はサイドハーフをAMの列に置いた4-4-2に変わっていました。
さらにプレミアシップで2シーズン。
これがFM2005での航海でした。
思い出のシーン
・リーグ1への昇格の懸かったプレイオフ最終戦、残り5分で0-1からの逆転劇。
・プレミアシップ2シーズン目。4位と勝点で並ぶも、得失点差で僅か1点及ばず5位。CLを逃す。
[Sat, 26. Apr. 2008]
2007年Jリーグの入替戦(広島-京都;スカパー観戦)
(注:リアル試合の観戦記です)
今日は2007年12月9日。昨日8日土曜日にはJリーグのJ1J2入替戦の第2戦が行われました。
普段Jリーグは福岡戦しか観てないのですが、入替戦は毎年観てるのです。…入替戦=福岡戦というケースもなかなか多いのですが。
今年は、ホームのJ2京都がJ1広島に対し2-1で勝利を収めた第1戦を受けての第2戦です。広島がJ1に残留する条件は、1-0での勝利か2点差以上での勝利、あるいは2-1で勝利し、延長戦~PK戦で勝利です。それ以外は京都の昇格。
試合は、結果から言うと0-0のスコアレスドロー。これにより広島のJ2降格と京都のJ1昇格が同時に内定しました。
最終スコアが0-0だったので、つまり広島は90分間に亘って先制点を取れば2戦トータルで逆転できる状況でゲームをしていました。そんな中、シュートがバーに当たること2回。加えて後半ロスタイムにはバイシクルシュートがポストに弾かれてゴールの外へ。決まっていたらそれこそJリーグ史上に残るシュートシーンだったんでしょうけどね~。
と言うわけで、広島は武運つたなく2度目の降格となりました。合掌。
一方京都は、加藤久監督の肝の据わった采配が印象的でした。
立ち上がりは3バックスでしたが、前半サイドを崩されて一方的に攻め込まれると、後半は4バックスへ変更。
これはまぁ普通(だよね?)として、驚いたのは60分前後にかけてアタッカーの枚数を増やして攻撃の意志を示したことでした。現状を維持すれば昇格。1点取られればJ2居残り。そういうぎりぎりの状況で、ややもすれば暴走とも取れる采配に見えました。これで点取られたらひどいぞ~、と思ったものです。
が、結果として、後ろから繋ぎたい広島の守備陣に対してプレス要員が増えた事と、鋭いカウンター攻撃をちらつかせる事で抑止力を加えた事が吉と出たように見えました。
そして終了間際には、この試合が引退試合となる秋田選手を投入。パワープレー対策として理に適っている上に、男気のある秋田選手を送り出す男気采配。京都イレブンに男気パワーが加わって、試合終了後静まりかえる広島ビッグアーチに京都の選手の雄叫びが木魂することとなりました。
よかったねー。残念だったねー。
福岡はねー。何だかね、来年も迷走し続けそうですよー。ハッハー。
[Sun, 9. Dec. 2007]
我が青春のCM&FM遍歴(前篇)~CM4篇
こんばんは。プレイ日誌だけじゃ何か味気ないので、こんなページもこさえてみました。
ネタがどれだけ続くやら…。
一つはっきりしているのは、きっと僕は“攻略法”のような記事は書かない、という事です。何故なら、僕自身が“攻略”出来ていないから。僕にとってこのゲームをする目的が“攻略”であるとも思えないし。
…おっとっと、これはこれで一つの記事になりそう。なので続きは後日(来年かも)。
まずは自己紹介を兼ねて、恥ずかしげも無く自らの遍歴を紹介してみたいと思います。CM・FM限定でね。
という訳で第一回目はChampionship Manager 4篇。
はじめにCM4ありき(僕にとってはね)。
これは伝説の迷作らしいのですが、随分やったなぁ。と思ってたけど、う~ん。総プレイ時間はそんなに長くないかも。
出会ったのは、普段は滅多に行かないパソコンショップの、更に滅多に行かないゲームコーナーの片隅でした。ジャケ買いにして衝動買い。それがあったから今の僕がいる…。なーんてね。
今でこそJリーグが含まれていないFMシリーズですが、CM4の頃はしっかり入っていました。しっかり? …人名・クラブ名は仮名でしたが。
んで、当時今以上に海外フットボールに疎かった僕はJリーグ2部の「FC Fukuoka」で監督業(のシミュレーション)を始めました。現実世界の「アビスパ福岡」に対応するクラブですね。あぁ弱いさ!!!
ごほんごほん。失礼。つい。
開幕3連敗から始まったFC Fukuokaでしたが、
(1)基本フォーメーションに4-3-3を採用。
(2)3トップの中央に、何と決定力が20だったTachibana選手(橘選手かな。太田恵介選手に対応)を起用。
(3)エジプトからドリブラーWayel選手を獲得(綴りはこうだったと記憶していたけど、調べてみるとどうも「Wael」のようです…。が、ここでは曖昧だとしても記憶に従って)。
以上の策が当たって連勝開始。終わってみればぶっちぎりでJリーグ2部を制したのでした。

その時採用した4-3-3は左の画像の並びでした。
画像はゴー・アヘッドで再現したものなので、チームカラーが違いますが…。
今だったらこんな並びで試合はしないなぁ。でも当時はこれが物凄く機能したんです。いや、Jリーグだったからかな? 厚い最終ラインでボールを跳ね返す→サイドの裏へ→クロス→橘のヘディング。これで面白いように点が取れたんです。相手のサイドバックが物凄い頻度でヘディングをかぶってましたが…。
それからウイングのWayel選手はうねうねしたドリブルで対面するDFを辱め続けました。あんまり抜けるもんだから、タッチラインまで行って、更に、まるでマーカーコーン相手のようにセンターバックを避けて避けてゴール前まで持ち込むんです。んで結局シュートを外す事が結構あったのが逆に欠点になった程。決定力は高くなかったから、タッチラインからクロスを上げてくれる方がゴールになったのです。
ゴール前で待ち構える橘選手は、モデルになった太田選手の身長に比べるとジャンプ力は物足りませんでしたが(確か14くらい)、相手CBも日本人なのでそんなに高さはないから、結構競り勝つ。そして何より決定力20が異常にものを言いました。FMシリーズとは能力値の解釈が違ったのかな? テクニック(&その他スキル全般)は低かったけど、時にまるで誘導ミサイルのような軌道でゴールに飛び込むシュートを放って見せたり。
新潟と共にJ1に昇格して1年目。インテルで移籍リストに名前が出ていたマルティンス選手を加えました。んでウイングにコンバートすると、柔のWayel、剛のマルティンスって感じで、一直線に日本人のディフェンダー達を抜き去ってくれました。この当時、僕はマルティンス選手のことを知らなかったんですが…、我ながらよく見つけたな。
1年目は何とJ1で新潟との“昇格組によるワン・ツー・フィニッシュ”を達成。優勝はうち。
てな感じで、J1でもやっぱりヘディングをかぶるディフェンダー達を薙ぎ倒していったのでした。
でも、ゲームバランスがちょっと悪いと感じられたのと、日本語訳のあまりの酷さ(背番号欄の上の「No.」が「いいえ」だった!!)に、程なくCMから離れていったのです。
それから時は流れ…。
CM4ではインターネットで情報を収集するということを一切しなかったのですが、ある日、そのネット上で偶然にもFootball Manager 2005のリリースを知ったのでした。つまりCM03/04は存在に気が付かないまま飛んでいたんですね…。
それでは「FM2005篇」に続く…。
[Sun, 4. Nov. 2007]